大判例

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大分地方裁判所 昭和57年(ワ)937号 判決

原告

植木貴史

植木英司

原告兼右原告ら法定代理人親権者父

植木章二

右原告ら訴訟代理人弁護士

徳田靖之

川口憲彰

被告

鵜川明

右訴訟代理人弁護士

山本草平

塚田武司

林桂一郎

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告植木貴史、同植木英司に対し、各金六七六万円、原告植木章二に対し、金二六七九万円及び右各金員に対する昭和五七年一〇月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告植木章二(以下「原告章二」という。)は、訴外植木清美(以下「清美」という。)の夫であり、原告植木貴史(以下「原告貴史」という。)及び植木英司(以下「原告英司」という。)は、清美と原告章二との間にもうけた子である。

被告は、肩書地において鵜川産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を経営する医師である。

2  医療事故の経過

清美は、昭和五六年二月九日被告から妊娠二カ月で、出産予定日は同年一〇月一日であると診断され、以後被告医院に通院し、順調な経過をたどつていたが、同年九月二五日午前四時ころ破水するに至り、被告にその旨を連絡して、同日午前四時一〇分被告医院に入院した。

清美は、右同日午前一〇時に陣痛室に入り、午前一一時八分からアトニンO一〇単位等の陣痛促進剤の投与を受け、午後三時七分女児を出産した。

清美の出産経過は、右同日午後三時三分に子宮口が全開大に開き、午後三時七分に女児を出産し、午後三時一〇分ころには胎盤を娩出するという急速分娩であつたところ、清美は午後三時一八分ころに弛緩出血を起こし、その後も出血を繰り返して、合計二〇〇〇ミリリットル以上の血液を喪失し、出血性ショックを起こして、午後六時三分に死亡するに至つた。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1の事実(当事者)は、当事者間に争いがない。

二請求原因2の事実(医療事故の経過)中、清美が破水した時刻、胎盤を娩出した時刻及び出血量に関する事実を除き、当事者間に争いがない。

そこで、以下において、本件医療事故の経過について詳細に検討することとする。

1  出産に至る経緯

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

清美は、昭和二四年四月一一日生まれの女性であり、昭和四九年一一月二七日原告章二と結婚し、昭和五〇年一〇月二〇日被告医院において原告貴史(生下時体重二五二〇グラム)を、昭和五三年一〇月一六日被告医院において原告英司(生下時体重二八五〇グラム)をそれぞれ出産した経産婦であり、右二回の出産はいずれも正常な分娩で母子ともに異常がなかつた。

被告は、昭和二三年日本医科大学を卒業し、日本赤十字新宿産院において昭和二九年まで産婦人科の研修を受け、昭和二九年から昭和三一年まで長野県の轟病院で産婦人科の医長として勤務し、その後、千葉県で開業し、昭和四一年大分県別府市に移転してきて、被告医院を開設した。

被告医院には、昭和五六年当時、医師は被告だけで、その他に看護婦と助産婦の資格を有する者が二名、准看護婦が二名、見習看護婦が四名いた。

清美は、昭和五六年二月九日被告医院に来院し、被告の診察を受けたところ、妊娠二ケ月で、出産予定日は同年一〇月一日であると診断された。

なお、被告は、清美の血液型がO型、RHプラスであることを知つていた。

清美の妊娠経過は順調であり、同年三月一二日行われた血液検査の結果も異常がなく、また、尿及び胸部検査の所見も異常がなく、体重も順調に増加していつた。

もつとも、清美は同年九月七日被告から急性胃腸炎と診断され、内服薬の投与を受けたが、直ちに治癒し、また、同月一四日便秘を訴え被告から投薬を受けているものの、同月二二日の被告の診察によれば、体重五三・五キログラム、血圧が最高一一六mmHg(以下、血圧値の単位は省略する。)、最低四八、検尿の結果及び胸部検査の結果も異常がなかつた。

清美は、同月二五日、被告に自宅で破水したと電話連絡したうえ、同日午前四時一〇分独りでタクシーに乗つて、被告医院を訪れ、そのまま入院した。

被告は同日午前四時二〇分、清美を診察したところ、陣痛はなく、児心音も良好であつたが、羊水が流出していたため外陰部を消毒し、丁字帯を当てたうえ、骨盤高位の姿勢で休ませた。

同日午前六時(以下、時刻のみを記載する。)清美の血圧は最高一二四、最低六四で、児心音は良好であつた。

午前一〇時被告は浣腸し、六〇ミリリットルの尿を排出させたうえ、陣痛を誘発させるため清美を陣痛室に入れた。

午前一〇時四〇分清美は陣痛がなかつたものの臍帯(臍の緒)の血流に濁音が聴取されたので毎分〇・五リットルの酸素投与を受け始めた。

午前一一時八分被告は清美の陣痛を誘発させるために、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットル、ビタミンC一〇〇ミリグラム、アトニンO一〇単位、コメタミン(活性ビタミンB1)五〇ミリグラム、カチーフN(ビタミンK―血管強化、血液の凝固促進剤)一〇ミリグラムの混合液を一分間に一五ミリリットルの割合で点滴した。

午後〇時清美は昼食を「おいしい。」といつて摂取した。

午後〇時一五分清美はブスコパン(鎮痙剤)一錠を服用し、午後〇時三〇分陣痛が開始し、それとともに羊水の流出が止まつた。

午後一時被告は清美の産道が狭くならないようにする(確保する)ため導尿し、五〇ミリリットルの尿を排出させた。午後一時四八分清美は自然破水し、大量の羊水が流出したので、点滴の量を毎分二〇ミリグラムに増加させた。

午後二時一五分清美の子宮口が三指大に開大したので、ブスコパン一錠を投与し、点滴の量を毎分一〇ミリリットルに減らした。

午後三時、被告は分娩室における他の妊産婦の出産を終えて陣痛室に来て清美を診察したところ、陣痛が強くなり、子宮口も四指大に開大していた。

午後三時三分、清美の子宮口は全開し、被告は酸素投与量を毎分一リットルに増加した。

午後三時五分、排臨(娩出期の陣痛発作時に胎児の先進部が陰裂間に現われて、発作間歇時には再び退行して見えなくなる状態)

午後三時六分、発露(娩出期が排臨の状態よりさらに進行し、陣痛発作時に陰裂間に現われた胎児先進部が、陣痛間歇時にも退行せずに露出している状態)

午後三時七分、清美の陣痛はやや強め(中等度)に進行し、陰門の延びが悪かつたため、被告は会陰を切開し、女児(生下時体重三〇二四グラム、頭囲三三センチメートル、身長四九・三センチメートル)を出産させた。

その一、二分後、清美の子宮は収縮して、胎盤が子宮にくつついている面が先になつて剥離し(ダンカン式による胎盤娩出)、その際に、二〇〇ミリリットル位の出血があつた。

被告は、清美が出産した新生児に酸素を直ちに噴霧したところ、顔色も良好となつた。

被告は、午後三時一六分、胎盤娩出後、会陰部の切開部位を縫合し、下腹部にアイスノンを貼用して冷罨法を行つて、すべての処置を終えた。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

2  死亡に至る経緯

前記争いのない事実(請求原因2の事実の一部)に〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められる。

(一)  被告は、昭和五六年九月二五日午後三時一六分(以下時刻のみを記載する。)までに清美の出産に関する処置をすべて終えていたところ、清美は午後三時一八分ころ子宮内から赤色の中等量(四〇〇ないし五〇〇ミリリットル)の出血(以下「第一回出血」という。)が三〇秒ないし一分位にわたつてあつた。

被告が右出血直後に清美を診察すると、子宮破裂を起こした時のような痛みを訴えておらず、かつ、子宮頸部に損傷もなかつたが、子宮の収縮状態が悪く弛緩していたため、弛緩出血と診断し、子宮収縮剤及び止血剤である〇・〇二パーセントのエルメトリン一ミリリットルを静脈注射するとともに、子宮の輪状摩擦及び子宮腔内に溜つた血液を排出すると子宮の収縮状態が良くなつてきたので、アイスノンを交換して下腹部を冷やした。

(二)  被告は清美の出血が止まり、子宮の収縮状態も良くなつたので、分娩室へ行き別の患者を診ていたところ、午後三時二五分、清美が「目がかすむ。」と訴えたことを看護婦が連絡してきた。

被告は、二年前(昭和五四年ころ)に弛緩出血により死亡した患者が、「目がかすむ。」と訴えていたことから、異常を感じて、直ちに、陣痛室に戻り、子宮状態を診察するとともに止血剤であるロメダ五ミリリットル、アドナ(その使用量については後示のとおりである。)の静脈注射を指示し、また、輸血準備のため保存血二パック(合計四〇〇ミリリットル)を取り寄せるように指示し、さらに、緊急事態に備て、近及び今村両医師に応援を依頼する旨の電話連絡をするように指示し、直ちに右各指示に従つた処置及び連絡がなされた。

清美は午後三時二六、七分ころ、子宮口から再び四〇〇ないし五〇〇ミリリットルの出血(以下「第二回出血」という。)を起こしたが、一分間余で止まり、顔色は良好で、血圧は最高一〇六、最低八〇で、脈拍は九〇であつた。

被告は、清美の子宮を輪状摩擦し、かつ、導尿して四〇ないし六〇ミリリットルの尿を排出させたところ、子宮の収縮状態が間もなく良くなつたので、輪状摩擦をやめた。

(三)  被告は清美の処置に便宜なため、同人を陣痛室から分娩室に移し、酸素投与を続けるとともに午後三時三五分ころ右腕から五パーセントのブドウ糖液五〇〇ミリリットルを毎分四〇ないし五〇滴の割合で点滴し始め、さらに、アイスノンを交換して冷湿布を継続したが、血圧は最高一〇四、最低七八で、異常な値ではなかつた。

被告は、清美に生血を輸血することにし、同人と同じ血液型(O型、RH+)の訴外山田看護婦(以下「山田」という。)から三〇〇ミリリットルの血液を採血し、簡単な交差試験を行つて、異常のないことを確認したうえ、午後三時三五分ころから看護婦の訴外空閑シノをして、清美の左腕から輸出させ、午後四時ころ終了した。

(四)  清美は、右輸血の最中である午後三時四〇分ころ、四〇〇ないし五〇〇ミリリットルの出血(以下「第三回出血」という。)を起こし、これにより第一回出血以来、合計一二〇〇ないし一五〇〇ミリリットルの出血を来たしたことになり、血圧は最高が七〇まで下降したので、被告は右輸血及び点滴を続けるとともに、前同様の止血処置を施して止血に努めた。

近医師は、午後四時前ころ、看護婦一人を連れて来院し、清美の治療にあつたが、清美は、右来院時において、血圧が最高五八で、中心静脈圧(心臓の右心房圧)は測定できず、興奮状態で呼吸困難を訴え、チアノーゼが発現し、顔面蒼白で、眼瞼粘膜は貧血状態を示し、循環虚脱によるショック状態であつたが、近医師に応答しうる程度に意識は清明であつた。

近医師は、清美が循環血液喪失によるショック状態と判断し、被告と相談のうえ、保存血をさらに二パック(合計四〇〇ミリリットル)取り寄せることにし、その旨を看護婦に指示し、また、左腕から輸血していた生血がなくなつたのでそこから血液代用剤であるサビオゾール(低分子デキストラン乳酸リンゲル液)一〇〇〇ミリリットルを午後四時ころから点滴し、さらに、両足の血管を確保するため静脈血管を切開し、輸血輸液を施した。

(五)  今村医師は午後四時過ぎころ来院し、清美の治療に参加するようになつたが、清美は右来院時において、子宮収縮状態は良くなつており、「痛い。」と訴えていたが、皮膚は蒼白で、丁字帯を解くと持続的なものではないが二〇〇ミリリットル以下の量と思われる血液が子宮から流出してきたため、子宮腔内に強填タンポンを入れて止血措置を講じた。

被告は、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン―心血管系を賦活し、血液の酸塩基平衡にする薬剤)を抗ショック剤として静脈注射し、また、午後四時一〇分子宮の状態を診たが、収縮状態は良好であり、かつ、腹腔内に穿刺したが出血の徴候は認められなかつた。

清美の血圧は午後四時一五分に測定したが、低過ぎて測定しえなかつた。

近、今村両医師及び被告は、午後四時二〇分、取り寄せてあつた保存血二パック(合計四〇〇ミリリットル)を清美の両足から輸血し、右腕から入れていたブドウ糖液が入れ終つたので、サビオゾールに変えて、これを点滴の方法で輸液したが、右輸液にはサビオゾールの他に、イノバン(循環賦活剤―心臓の喀出力強化、利尿作用、血圧上昇の作用がある薬剤)五ミリリットル、アトモラン(肝臓の保護作用がある薬剤)二〇〇ミリグラム、コメタミン(活性ビタミンB1)五〇ミリグラム、アスコルチン(ビタミンC)一〇〇ミリグラム、ピロミジン(ビタミンB6)三〇ミリグラム、メイロン(制酸性中和剤―重曹水)、セファメジン(抗生物質)一グラムを混入した。

(六)  原告章二は、午後四時ころ、被告医院の事務員から清美の容態が悪い旨の電話連絡を受けて、午後四時一〇分被告医院に駆付けたところ、清美の血液型と同じ血液が必要だといわれ、清美の親族及び勤務先に電話して、O型の血液が必要だから、すぐに被告医院に来てくれるように頼んだ。

被告は、午後四時四〇分ころから、清美の親族等の五名から二〇〇ミリリットルづつ合計一〇〇〇ミリリットルを採血し、通常臨床的に行われている簡単な交差試験をしたうえ、午後五時一〇分ころから清美に右血液の輸血を開始し、午後五時二〇分からは両足、左腕及び鎖骨下静脈の四カ所から右血液を輸血し、合計八〇〇ミリリットルの右血液を輸血した。

しかし、保存血、生血の輸血及び輸液は、清美がショック状態で血管が収縮してしまつているため右足及び右腕からはほとんど入らなかつた。

(七)  清美の子宮収縮状態は良好で、腹部膨満もないが、ショック症状は改善せず、被告は午後五時及び午後五時二〇分にそれぞれソルコーテフを静脈注射し、前記輸血を行つたが、全く改善する兆もないため近、今村の両医師と下腹部を開腹手術する相談をしたが、ショック状態にあることから危険が大きいとしてこれを断念し、また、出血量に見合うだけの輸血や輸液をしても改善しないことから、循環器障害を疑い始めた。

清美は、午後五時四〇分意識を消失し、子宮収縮を促す目的で導尿されたところ、午後五時四五分に一七〇ミリリットルの尿を排出し、その尿からは糖もタンパクも検出されなかつたものの、その後、留置カテーテルからは尿が排出されず、そのうえ、血圧は低過ぎて測定しえず、指先にチアノーゼが著明となつた。

そこで、被告はソルコーテフを静脈注射するとともに、メイロン、カルチコール(カルシューム血液の凝固作用増強剤)五ミリリットルを投与した。

しかし、清美は午後六時に最悪の状態となり、ビタカンファ(強心剤)二ミリリットル、テラプチク(呼吸循環復活剤)二ミリリットルを注射され、また、輸血及び輸液も継続され、さらに、イノバンを点滴に混入して投与されたり、ソルコーテフを静脈注射されたりしたが、呼吸停止を起こし、その後、心停止し、心臓マッサージをされたが、その甲斐もなく午後六時三分死亡するに至つた。

以上のとおり認められ、これに反する証拠は次に説示するとおり信用できない。

すなわち、

(一)  被告が子宮の輪状摩擦等の産科的止血措置を陣痛室で行つたか否かについて、証人空閑シノの証言中には、被告が清美の出血を止めるために子宮の輪状摩擦または双手圧迫法を行つたのは、分娩室に移つた後である旨証言する部分があるが、しかし、右証言内容は簡潔なもので、具体的な経過的事実につき逐次検討を加えたうえでの記憶を根拠としたものでないうえ、証人空閑シノの証言、被告本人尋問の結果によれば、訴外空閑シノは被告の指示に従つて、清美に対する止血措置及びショック状態改善のための処置を行つていたのであり、第一回出血後、分娩室に移るまでの間も、被告の指示により注射、薬剤等の準備を行つていて、終始被告の側にいたわけではないことが認められ、右事実によれば、訴外空閑シノが、清美の出血という緊急状態のもとで、被告の行動に注目していた余裕があつたとは考えられず、むしろ、訴外空閑シノは緊急状態下での被告の行動を正確に記憶していなかつたのではないかとの疑念を払拭しえず、右証言部分は信用できない。

(二)  被告が清美に対し、止血措置としての双手(双合)圧迫法を講じたか否かについて、証人空閑シノの証言中には、被告が清美の出血時に双手圧迫法を行つていた旨証言する部分があり、また、被告本人尋問の結果中にも同旨の供述部分がある。

しかし、〈証拠〉によれば、子宮双手(双合)圧迫法は、胎盤娩出後に弛緩出血を起こした場合に行われる止血方法であり、外手を服壁上から子宮底部及び子宮後面にあたるようにあて、内手の手拳を前膣円蓋部に置いて、内外両手で子宮を強く圧迫する方法で、物理的に子宮収縮を促すものであり、効果的な止血方法として、導尿、子宮底輪状摩擦、子宮腔内の胎盤片、凝血の除去等により止血しえぬ場合に行われる方法である旨本件医療事故以前に発行された医学文献に記載されていることが認められ、そして、前記二2認定のとおり、清美の各出血は持続的なものでなく、短時間で止まつているのであり、かつ、被告によつて、止血剤の投与、輪状摩擦、子宮腔内の血液の除去といつた止血方法を講じられていて、それにより各出血後の子宮収縮状態は急速に良くなつていると判断していたのであるから、被告が子宮双手(双合)圧迫法を講ずる必要性を各出血後に認めて、これを行つたか否か疑問の余地があるうえ、被告本人尋問の結果によれば、被告は、弛緩出血に対する止血法としての子宮双手(双合)圧迫法は、出血が止まるまで行えば十分であつて、それ以上行うことはしないという方針を採つていることが認められ、そうであれば被告が自己の治療方針に反して、特に、清美に対してだけすでに、止血しているにもかかわらず、子宮双手(双合)圧迫法を行つたとは認め難く、さらに、証人空閑シノの右の点に関する証言内容は具体性に乏しく、被告本人尋問の結果中の右の点に関する供述も簡単なもので、右医学文献の記載内容と同様な方法で行われたか否かさえ判別できない内容となつており、右証言及び供述はいまだ信用することができない。

(三)  山田から生血を三〇〇ミリリットル採血して、これを清美に輸血したか否かについて、〈証拠〉によれば、国民健康保険診療報酬明細書(以下「報酬明細書」という。)には、「生血八〇〇ミリリットル」、「血液交叉試験六回」と記載されていて、山田の生血分を含まない生血量しか記載されておらず、かつ、血液交差試験の回数も山田の生血分を除いた回数しか記載されていないことになること、看護記録(甲第三号証)には、午後四時の欄外に「15:30山田看護婦の血液300mlゆ血交査異状なし」と記載され、矢印が午後三時三五分の記入欄に引かれていて、右記載は清美が死亡した翌日に記入されたものであること、看護記録には輸血パック片(製造番号、使用期限を記載されたもので、血液を入れる輸血パックに貼附されている紙片)五枚が貼附されているが、そのうちの一枚は保存血の入つていた輸血パックのもので、他の四枚は生血を入れるのに使用したものであるところ、清美の親族等から採血した生血で、かつ、清美に輸血した血液を入れた輸血パックが四枚あるから、山田の生血を入れた輸血パックがあるとするとパック片の枚数が一枚足りなくなることが認められ、報酬明細書及び看護記録からは、山田の生血を輸血したことに疑念を差しはさむ余地があるかのようであり、また、被告本人尋問の結果によれば、生血を入れた輸血パックは容量が二〇〇ミリリットルとされていることが認められるのに、山田から三〇〇ミリリットルの生血を採血して、一枚の輸血パックに入れたと認めることは不合理と考えられる余地もないではないかのようであり、さらに、被告本人尋問の結果中には、被告は午後三時三五分ころから、山田の生血を清美に輸血し始め、輸血を終えるまでに約三〇分間を要した旨供述する部分があり、右供述によれば、山田の生血の輸血が終了したのは午後四時五分ころになると考えられるが、〈証拠〉によれば、近医師が午後四時前に被告医院に到着した時には、清美に輸血がなされていなかつたということであり、右供述部分は不合理な内容で、山田の生血を輸血したか否かも疑問とするむきもあろうかと思われる。

しかし、看護記録の記載については、〈証拠〉によれば、訴外空閑シノは、山田の生血を清美に輸血したことを看護記録に記入するのを失念して、他の事項を記載してしまつたため、午後三時三〇分の記入欄に右輸血のことを記入できなくなり、清美の死亡した翌朝、記入洩れに気づいて、看護記録の空白部分に「15:30山田看護婦の血液300mlゆ血交査異状なし」と記載し、午後三時三五分の記載欄に矢印を引いたことが認められ、また、前記2認定のとおり、右輸血が行われたとする昭和五六年九月二五日午後三時三五分ころは清美の状態が悪く、被告をはじめ訴外空閑シノらの看護婦もその処置に忙殺されていた時間であつて、看護記録に記入洩れがあるからといつて、不自然なものとはいい難く、看護記録の記載をもつて、山田の生血を輸血していないとは断定しえない。

また、輸血パック片の看護記録への貼附については、〈証拠〉によれば、山田の生血を入れた輸血パックは、看護記録にその番号(「800226FF2」)が記載されており、その番号のパック片が看護記録に三枚貼附されていることが認められるから、貼附された三枚のパック片の一枚が山田の生血を入れた輸血パックのパック片であると推認することもできるのであり、かつ、輸血パックの容量については、被告本人尋問の結果によれば、輸血パックは二〇〇ミリリットルが容量とされているが、三〇〇ミリリットルの生血を入れることも可能であることが認められ、したがつて、パック片及び輸血パックの容量から、山田の生血を清美に輸血していないとはいい難い。

さらに、輸血時間については、前記甲第一七号証によれば、輸血の速度は毎時一〇〇〇ミリリットル以下で行われることが望ましく、最大速度は毎分二〇〇ミリリットルで、それが限界であることが認められ、そうであれば、三〇〇ミリリットルの生血を、午後三時三五分ころから午後四時前までの約二五分間で輸血することも十分可能であり、かつ、適正な輸血速度を著しく逸脱するものともいえないのであつて、山田の生血を三〇分間で輸血した旨の被告の供述が、その信用性に必らずしも問題がないとはいえず、むしろ、緊急事態のもとで、被告が輸血の時間を正確に記憶していたと考えること自体が不合理ともいえるのであり、輸血時間についての被告の右供述を根拠に、その不合理性を強調して、山田の生血を輸血していない理由とはなし難い。

もつとも、前記のとおり、報酬明細書には、山田の生血量及び山田の生血の血液交差試験の記載がないのであるが、前記甲第二号証によれば、国民健康保険被保険者診療録の九月二五日の「処方・手術・処置等」欄には、「生血1100ml」と記載されていることが認められ、右記載の量は、山田の生血量に、清美の親族等から採血され、清美に輸血された八〇〇ミリリットルを加算した量となるから、右書証は山田の生血が輸血されたことの証拠となるものであり、また、訴外空閑シノは、被告が山田から採血して、自分が清美に右生血を輸血した旨具体的に証言しており、かつ、被告も右証言に合致する供述をしているのであり、さらに、近医師は、被告医院に到着した直後、輸血セットに血液が付着していたから輸血が終つたのだと思つた旨証言しているのであつて、報酬明細書の記載をもつて、山田の生血を輸血したことを否定することはできない。

(四)  被告が止血剤であるアドナを清美に静脈注射したか否かについて、〈証拠〉によれば、看護記録の午後三時二五分の欄には、「アドナ20ml注」と記載されていることが認められるところ、〈証拠〉によれば、止血剤であるアドナの通常の使用量は、二ミリリットル(一〇ミリグラム)である旨本件医療事故以前に発行された医学文献に記載されていることが認められるから、右看護記録の記載によれば、被告は清美に対し、通常使用する量の一〇倍に相当する量のアドナを一度に投与したことになり、その合理性に疑念を生じさせる余地がないではない。

しかし、前記二2認定のとおり、第二回出血の前後は訴外空閑シノ等の看護婦が非常に忙しく、被告の指示に従つて各処置を行つていた時期であり、アドナの量を誤記したとも考えうるのであるから、右薬剤の量が著しく過大に看護記録に記載されているからといつて、右薬剤投与の事実までを否定することはできない。

その他、前記認定を覆すに足る証拠はない。

三清美の死因

清美が弛緩出血により失血性ショックを起こし、その結果、死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

ところで、清美の出血量について、〈証拠〉によれば、清美の出産及びその後の出血に使用したガーゼ、分娩用布及び脱脂綿には、清美の血液及び羊水が吸収されていて、その血液及び羊水の重量が二一六〇グラム位になり、通常臨床的に採用されている測定方法によれば、羊水は約六〇〇グラムであると推測しえ、かつ、血液だけの重量は一五六〇グラムとなることが認められ、したがつて、最低限一五六〇グラムの出血があつたことは確実である。

なお、〈証拠〉によれば、母子健康手帳には、清美の出血量が八八〇ミリリットルであると記載されていることが認められるが、被告本人尋問の結果によれば、被告が母子健康手帳に清美の出血量を誤記してしまったことが認められるから右記載の内容は信用しえない。

もつとも、前記二2認定のとおり、清美は午後四時ころに最大血圧が五八まで低下しており、〈証拠〉によれば、最大血圧が四〇ないし七〇に下降するのは、一般的に一七五〇ないし二二五〇ミリリットルの出血があつた場合であることが認められるから、清美は午後四時ころに、二〇〇〇ミリリットル位の出血をしていたとする余地もあり、また、証人近準一の証言中には、清美の出血量が二〇〇〇ミリリットル位である旨証言する部分もある。

しかし、後記のとおり、清美は循環器障害に陥つていた可能性もあり、そうであれば、一般的な血圧と出血量の対応関係が清美に妥当するのか否かが疑問であるうえ、証人近準一の証言によれば、近医師の右証言は、計量した結果に基づくものでなく、目算によるものかあるいは記憶の概括化によるものに過ぎないことが認められ、これを直ちに信用することはできず、したがつて、清美の出血量が二〇〇〇ミリリットル位であつたとは断定できない。

以上のとおり、清美の出血量が一五六〇ミリグラム(但し、清美の血液の比重を認める証拠はないから、重量から量に換算しえない。)以上あつたと推測されるが、その正確な量を認定することはできない。

そこで、清美の死亡に至る医学的機制について検討するに、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

妊産婦は、血液中の凝固因子が増加しており、かつ、線溶活性の低下傾向がみられるうえ、血小板粘着能が亢進しており、さらに、妊娠に特有な胎盤、脱落膜に他の臓器とは比較にならぬ程多量の組織トロンボプラスチン活性が認められ、そのため血液が凝固しやすく、出血性ショックに陥りにくくなつているが、その反面、播種性血管内血液凝固症候群(Disseminated Intravascular Coagulation,、以下「DIC」という。)になりやすくなつている。

DICを起こしやすい疾患としては、常位胎盤早期剥離、羊水栓塞症等があげられるが、後産期出血が多量になるとDICに移行することが比較的多いとされている。

DICに罹患すると、血液の凝固性が異常に亢進して、微少循環系で血液が凝固し、多数の微少血栓を形成して循環障害を起こし、出血や壊死により、それぞれの、臓器が機能障害を生じ、また、血液凝固が進むと血小板、線維素原、プロトロンビンなど諸種の凝固因子が消費されるため、凝固性亢進から一転して、凝固不良状態となり、同時に線容亢進も生ずるため、ますます出血傾向が強くなり、消費性凝固障害を生ずることになる。

DICの症状としては、出血が止血し難いものとなり、血液はさらさらした感じで凝血しにくく、赤沈の値も小さく(正常妊娠末期―五〇ミリメートル(一時間値)、一〇ないし一五ミリメートル(一五分値)なのに対し、DICになると一〇ミリメートル前後(一時間値)、〇ないし三ミリメートル(一五分値))なり、出血時間も長く(Duke 法で正常値が一ないし三分なのに対し、DICになると四分以上となる。)なり、全凝固時間も長時間(Lee-White法で、正常値が六ないし一〇分、但し、妊産婦はさらに短時間となつていることが多い。DICの妊産婦は一〇分以上かかる。)かかり、また、血液の凝塊もなんとなく柔かであり、さらに、全身的な出血傾向が生ずるため、静脈注射部位、口腔粘、鼻粘膜からの出血があつて、紫斑形成が認められ、血尿、吐物への微量血液混入、口唇の血痂なども認められる。

DICと確診するためには、血小板、線維素原、FDP(Fibrin Degradation Products)などの測定を要する。

以上のとおり認められる。

右認定事実に照らすと、前記二2認定のとおり、清美は胎盤娩出時に二〇〇ミリリットルの出血しかなかつたとはいえ、その二、三分後に四〇〇ないし五〇〇ミリリットルの出血をしているのであつて、後産期出血が多量に起こつたことになり、DICに移行した可能性は十分あり、また、証人近準一の証言によれば、清美の性器から出血した血液は、さらさらしていたこと、清美の注射部位には紫斑が現れていたことが認められるのであつて、DICの症状がでていたと認める余地もある。

しかし、〈証拠〉によれば、被告は清美の血小板、線維素原、FDPなどの測定をしておらず、かつ、死亡後、清美の解剖も行われなかつたことが認められ、清美がDICを併発したと確診する証拠はなく、また、近医師が見た清美の血液の状況にしても、〈証拠〉によれば、近医師は、清美に保存血を輸血し始めた後に、出血した血液を見た可能性があり、そうであれば、保存血に含まれているクエン酸によつて凝固作用が低下した血液を見た可能性もあることが認められるのであり、さらに、前記二2認定のとおり、清美は第三回出血後、二〇〇ミリリットル以下の出血があつたほか、子宮からの出血はもちろんのこと腹腔内等における出血の徴候も認められなかつたのであるから、止血し難いような出血を認める証拠はないのである。

そして、〈証拠〉によれば、妊産婦は循環血液量が増加しているが、その増加は血球量より主に血漿量にみられ、血液はやや水血症の傾向を呈していて、それが出血性ショックに陥りにくい一要因をなしているものの、血漿量の増加とともにヘマトクリットが低下するので、貧血がある場合にはショックに対して弱くなり、かつ、分娩時には血液がやや濃縮されているため、その出血は重大なものであり、また、骨盤臓器、子宮及び下肢に欝血があり、そのために他の臓器への血流分布が減少させられていて、失血に対する代償作用の発現を困難にする要因となつていることが認められるのであり、DIC 消費性凝固障害などの疾患を併発しなくとも、一五六〇グラム以上の出血を起こせば出血性ショックが重篤化して死亡することは十分可能である。

以上説示したとおり、清美がDIC等の循環器障害を併発していたと断定することはできないが、前記二2認定のとおり、産婦人科医である被告が清美の側にいて、第一回出血直後から治療にあたり、午後三時三五分ころから、生血三〇〇ミリリットルの輸血及び五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの輸液を開始し、右輸血終了後は、サビオゾールを輸液し、午後四時二〇分ころからは、被告の他に二人の医師が加わつて、サビオゾール二〇〇〇ミリリットルの輸液や保存血四〇〇ミリリットル及び生血八〇〇ミリリットルの輸血を継続して行つたにもかかわらず、清美のショック症状が一度として改善する兆をみせなかつたことを考慮すると、清美が循環器障害を併発した可能性も否定し難く、結局、本件全証拠によつても、清美の死亡に至る医学的機制を明瞭に認定することはできないといわざるを得ない。

四被告の過失

1  妊産婦の出血及び治療について、次に検討する。

(一) 妊産婦の出血についてみるに、〈証拠〉によれば、妊産婦は胎盤という特殊な器官を有しているため常時不測の出血を招く危険性があり、特に、分娩時には子宮内腔の胎盤剥離面に広い損傷部が残り、必然的に出血を伴うことが認められ、また、前記三認定のとおり、妊産婦の血液は凝固性が亢進しており、かつ、循環血液量(主に血漿量)が増加していて、出血性ショックに陥りにくい要因を有しているが、血漿量の増加とともにヘマトクリットが低下するので貧血があるとショックに対して弱くなり、そのうえ、分娩時には血液が濃縮されていて失血の影響が大きく、また、妊産婦は失血に対する代償作用の発現を困難にさせる要因を有しており、さらに、血液の凝固性が亢進しているため、出血によりDIC等の循環器障害を併発する危険性が高く、そのため、〈証拠〉によれば、昭和五五年当時、妊産婦の死因のうち、出血によるものが、最も多かつたことが認められ、そして、以上の各事実は右各書証によれば、昭和五五年当時の医学文献に記載されていることが認められる。

以上の事実によれば、産婦人科医師が、分娩を介助する際に、第一に出血状況を仔細に観察し、出血量を可能な限り少なくする処置を採るべきであり、仮に、出血性ショックに陥つたら、それが重篤化する前に適切な処置を講ずべきで、これを怠ると妊産婦を死亡に至らせる可能性が高いというべきである。

(二)  そこで、妊産婦の出血に対する治療法についてみるに、〈証拠〉によれば、本件医療事故以前に発行された医学文献には、出血に対する治療法として、まず、出血原因の発見に務め止血措置を講ずることであり、患者が出血性ショックに陥つている場合には、気道を確保して酸素を投与し、また、静脈を確保して、〇・九パーセント生理食塩水、五パーセントブドウ糖液、ハルトマン液などを出血量のほぼ二倍の量だけ輪液し、その間に輸血用血液を準備して、血液交差試験の終り次第輸血を行つて、循環血液量の確保に努めるべきである旨記載されていることが認められる。

次に、薬物療法として、〈証拠〉によれば、本件医療事故以前に発行された医学文献には、出血性ショックに陥つている患者に対し、末梢血管拡張作用、心筋収縮力の強化作用、血管透過性亢進の防止等に効用を有する副腎皮質ステロイド剤(ソルコーテフ、ハイドロコートン)、心拍出量及び臓器血流増加を促す効用を有する昇圧制(エホチール、ノルアドレナリン、ジギタリス剤)、代謝性アシドーシスの状態を改善する効用を有する重炭酸ソーダ溶液(メイロン)、止血剤(アドナ、フィブリノーゲン、トランサミンS)等投与すべきであり、そのために準備しておくべきである旨記載されていることが認められる。

2 次に、右事実及び前記二認定事実を前提にして、被告の過失の有無について検討する。

(一)  原告らは、被告が、清美の出血状況を仔細に観察せず、弛緩出血と認められる異常な第一回出血を起こしたにもかかわらず、産科特有な止血法を十分行わず、第二、三回出血を持続させた過失がある旨主張する。

そこで、右の点についてみるに、〈証拠〉によれば、弛緩出血は、胎盤剥離時に生ずる剥離出血に対し、子宮弛緩症により、子宮筋に強い収縮及び退縮が起こらず、生理学的結紮と呼ばれる止血機序が生ぜずに、胎盤剥離部の断裂血管や子宮静脈洞が子宮筋によつて圧迫閉鎖されることなく出血が続くものであり、その症状としては、胎児あるいは胎盤娩出後、持続性の暗赤色の大量出血があり、子宮は柔軟で子宮内に貯留した血液のため子宮は膨大となり、子宮底は正常より著しく上昇してくるものである旨本件医療事故以前に発行された医学文献に記載されていること、弛緩出血は全分娩の約一〇パーセントにみられ、稀なものでなく、昭和五二年の人口動態統計(厚生省大臣官房統計情報部編)によれば、妊産婦死亡数のうち、弛緩出血による出血死は約一二パーセントを占める旨昭和五五年発行の産婦人科MOOK第一一巻「弛緩出血」と題する論文に記載されていること、弛緩出血により五〇〇ないし一〇〇〇ミリリットルの出血を起こす頻度は一五・二パーセント、一〇〇〇ないし二〇〇〇ミリリットルの出血を起こす頻度は二・六パーセント、二〇〇〇ミリリットル以上の出血を起こす頻度は〇・一四パーセントである旨昭和五六年三月発行の最新産科学異常編と題する書物に記載されていること、弛緩出血の原因としては、発育不全体質、虚弱体質、貧血、妊娠中毒症、長時間にわたる全身麻酔等の全身的原因及び多胎分娩、巨大児、羊水過多などによる子宮筋の過度伸展、子宮筋腫、子宮筋層炎などの子宮疾患、急速分娩等の局所的原因があげられる旨昭和五二年及び昭和五五年発行の各医学文献に記載されていることが認められる。

そして、〈証拠〉によれば、経産婦の通常の分娩経過時間は、分娩開始から外子宮口全開大までが平均四ないし五時間、胎児分娩に平均一時間ないし一時間三〇分、胎盤娩出に一〇ないし二〇分間を要する旨昭和六〇年六月発行の医学文献に記載されていることが認められるところ、前記二1認定のとおり、清美は午後〇時一五分に陣痛が開始し、その二時間四八分後の午後三時三分に子宮口が全開し、その四分後の午後三時七分に胎児を娩出し、さらに、その九分後の午後三時一六分には胎児娩出も終つていたのであるから、かなりの急速分娩であつたと考えられ、被告本人尋問の結果によれば、被告も清美が急速分娩であつたと認めていたことが認められるが、その他に、弛緩出血の原因となるような疾患等を認める証拠はない。

弛緩出血に対する治療法については、前記四1認定のとおり、一般的な出血に対する治療法、すなわち、出血原因の発見に努め、速かに止血措置を講じ、ショック状態に陥つたら、酸素投与や輸液及び輸血を迅速に行い、かつ、各種の薬剤を投与して、ショック状態の重篤化を防止するという治療法を行うのであるが、弛緩出血については、その止血方法につき、〈証拠〉によれば、子宮収縮を促すことにより止血するのが第一であり、そのため、導尿して膀胱を空虚にし、かつ、下腹部を冷やして、子宮に寒冷刺激を与えること、次に、子宮底の輪状摩擦、子宮双手(双合)圧迫法及び子宮腔内の血液、胎盤片等の除去を行うこと、さらに、子宮収縮剤(麦角剤等)を静脈内又は子宮体部に注射することなどを行い、それでも止血しえぬ場合に、大動脈圧迫法(大動脈圧迫器あるいは駆血帯を用い股動脈の搏動が触れなくなる程度に大動脈を圧迫し、二〇ないし三〇分後に除去する方法)、子宮、膣の強填タンポン法(子宮腔及び膣腔に減菌長ガーゼを間隙のないように固く充填する方法)、子宮動脈圧迫法、内腸骨動脈の結紮及び子宮摘出手術を出血状況に応じて段階的に行う旨本件医療事故以前の医学文献に記載されていることが認められる。

以上の事実に照らして、被告の清美に対する治療についてみるに、被告は第一回出血後、直ちに清美の子宮及び出血状況を観察し、弛緩出血と判断して、子宮収縮剤であるエルメトリン一ミリリットルを静脈注射するとともに子宮の輪状摩擦及び子宮腔内に溜つた血液を除去し、さらに、下腹部を冷やして、子宮収縮を促しているのであり、その結果、子宮の収縮状態も良いと判断される状態となつているのであるから、一応、出血状況、子宮状態等の観察及び止血措置を尽くしたというべきである。

もつとも、清美は急速分娩であつたから、第一回出血前に、被告は弛緩出血を予期して、事前に止血措置を講ずるべきであつたとも考えうるが、急速分娩が弛緩出血の決定的要因とはいえないのであり、また、弛緩出血が稀なものでないとしても、全分娩の約一〇パーセント程度であり、かつ、清美は過去に二回、正常な分娩を行つた経験のある経産婦であることを考慮すれば、第一回出血前に止血措置を行うように要求することは困難であり、さらに、被告は胎盤娩出後、清美に対し、冷罨法を講じているのであるから、右の点から被告に過失を認めることはできない。

また、〈証拠〉によれば、弛緩出血は、一旦子宮収縮状況が良くなつて出血が止まつても繰り返し子宮が弛緩して出血の生ずることがあり、出血の当初に可能な限りの止血措置を講ずる必要のあることが認められるところ、被告は子宮双手(双合)圧迫法及び強填タンポン法を行つておらず、また、清美は第一回出血後わずか八分後に第二回出血を起こしているのであるが清美の第一回出血自体は一、二分で止まつており、被告の行つた右止血措置により、一応子宮収縮状態も良くなつているのであり、また、〈証拠〉によれば、昭和四九年八月に発行された医学文献(産婦人科シリーズ「救急処置のすべて」)中には、子宮双手圧迫法は術者がかなり疲れるものだが、一五ないし三〇分間強く圧迫する方法である旨記載されている部分があるが、昭和五六年三月発行の医学文献(最新産科学異常編改訂第一八版)中には、子宮双合圧迫法を二ないし五分行えば子宮が収縮し、出血が止まることが多く、不十分ならば一五ないし二〇分間これを続ける旨記載されている部分があり、また、昭和五二年発行の医学文献(産婦人科異常編改訂第二版)中には、子宮双合圧迫法の施術時間にはなんらふれておらず、子宮体の収縮が不十分な場合に行う旨記載してある部分もあることが認められ、そうであれば、子宮双手(双合)圧迫法を行うか否かは子宮収縮状態及び出血状況によるのであつて、子宮双手(双合)圧迫法を行わなかつたからといつて、子宮収縮状態が良くなり、かつ、止血している以上、右止血法を講ずべき注意義務まであつたとは断定し難く、かつ、強填タンポン法についても、〈証拠〉によれば、本件医療事故以前に発行された医学文献には、後産期出血に対し、右止血法を採ることには賛否両論があり、凝固障害による出血には無効なうえ、感染の危険がある旨記載されていることが認められるのであつて、そのうえ、〈証拠〉によれば、昭和五五年発行の産婦人科MOOK第一一巻「弛緩出血」と題する論文中には、弛緩出血に対する止血法として、強填タンポン法は記載されていないことが認められるから、右止血法を講ずる注意義務があるか否か疑問であるし、その必要が第一回出血時にあつたともいい難いのであり、さらに、第一回出血後、八分足らずで第二回出血を起こしていることについても、弛緩出血が繰り返し出血を起こすものだという一般的なこと以外に、第一回出血直後の時点において、第二回出血を予見しなければならないような具体的な徴候は認められず、清美が「目がかすむ。」と訴えたことから、被告は初めて、さらに出血することを予見しえたのであり、その後は、止血剤の投与を指示しているのであり、したがつて、右各事実をもつて、被告に過失があつたとはいい難い。

さらに、被告は、第一回出血後、清美の側を離れて分娩室へ行き、別の患者を診ているのであり、また、清美の出血量を膿盆を用いて測定したり、赤沈の値、凝固時間、血小板、線維素原、FDPなどの測定も行つていないのであるが、被告本人尋問の結果によれば、分娩室はドアを隔てて陣痛室のすぐ隣りにあることが認められ、かつ、被告が分娩室へ行つていた時間はわずかな時間(午後三時一八分に第一回出血があり、それに対する対応に少なくとも数分を要したと推認され、午後三時二五分には陣痛室に戻つているから、分娩室にいた時間は三分以下であつたと推認される。)であり、清美の出血状況及び子宮状態からして、右の点を批難することはできず、また、出血量の測定にしても、被告本人尋問の結果によれば、第一回出血が突然であつたため、出血量を測定する余裕のなかつたことが認められるし、赤沈の値、凝固時間、血小板の数等の測定についても、被告にその余裕があつたか否か疑問なうえ、第一回出血直後に、被告がDIC等の循環器障害の疑いを予見しうるような具体的な事情を認める証拠はなく、被告に右測定を行う注意義務が、第一回出血直後にあつたとは認められず、したがつて、被告に十分な観察を行わなかつた過失があるとはいい難い。

そして、第二回出血後の措置についても、被告は、第二回出血の一、二分前に清美が「目がかすむ。」と訴えたことから、止血剤であるロメダ、アドナの静脈注射を指示し、第二回出血後は子宮を輪状摩擦し、かつ、導尿して尿を排出させ、そのうえ、アイスノンを交換して下腹部を冷やしているのであつて、その結果、子宮収縮状態は良くなつているのであるから、一応の観察と止血措置を尽くしたというべきである。

もつとも、清美は、第二回出血後約一四分して第三回出血を起こしており、被告の止血措置が十分でなかつたと考える余地もあるが、第二回出血自体は一分位で止まつており、被告が行つた右各処置により子宮収縮状態も良くなつているうえ、清美は既に第一、第二回出血により、一〇〇〇ミリリットル近い出血を起こしていて、本件医療事故以前に発行された医学文献には、弛緩出血により一〇〇〇ミリリットル以上の出血がある頻度は二・六パーセントと記載されているのであつて、清美が第三回出血を起こす可能性は低いと判断されるのであり、第二回出血後に被告が第三回出血を予見することは困難であり、また、第三回出血の起こつたことをもつて、被告が止血措置を十分講じなかつたとはいい難い。

また、被告は、第二回出血においても、出血量、赤沈の値、凝固時間、血小板の数等を測定していないが、被告は、清美の出血量が目算で一〇〇〇ミリリットル近い量になつたので、輸液や輸血の必要性を第一に考え、その準備に忙殺されていたのであり、被告医院には医師が被告だけであること、応援の医師も到着していないことを考慮すれば、被告の具体的な諸措置が万全であつたといえないにしても、それ故に、清美の死亡について過失があつたとまではいい難い。

そして、第三回出血後も、被告は前同様の止血措置を行つて、子宮の収縮状態を良くしているのであり、しかも、午後四時以降に子宮が弛緩することもなかつたのであるから、一応の止血のための措置を尽くしたというべきである。

もつとも、清美は、第三回出血後に、子宮から二〇〇ミリリットル以下と思われる出血をし、今村医師によつて、強填タンポン法を講じられているのであるが、清美の出血が持続的なものでなく、断続的に生ずるものであるため、出血を事前に予見して、止血措置を講じておくことが困難であり、かつ、清美は第三回出血により合計一二〇〇ミリリットル以上の血液を喪失し、これにより、かなり重篤なショック状態に陥つており、これを改善するため、被告は輸液や輸血を緊急に行う必要に迫られていたのであつて、右程度の止血措置を講ずることでも、やむをえないとも考えられるのであり、被告に過失があつたとはいい難い。

また、被告は、第三回出血においても、出血量、赤沈の値、凝固時間、血小板の数等を測定していないが、清美が出血性ショックに陥つて、重篤化しつつあるため、被告は緊急の処置に忙殺されていたことを考慮すれば、やはり右の点で万全ではなかつたとしても、それをもつて、被告に清美の死亡について過失があつたとまではいい難い。

以上説示したとおり、被告は、清美の出血状況、子宮状態等を観察し、その所見に基づいて止血措置を講じているのであり、過失があつたと認めることはできない。

(二)  原告らは、清美が大量出血し、ショック状態に陥つているにもかかわらず、被告は直ちに循環血液量を確保する措置を講じず、第一回出血後一時間以上経過した後になつて輸液や輸血を本格的に開始したから過失がある旨主張する。

そこで、右の点についてみるに、前記四1認定のとおり、本件医療事故以前に発行された医学文献には、出血性ショックに陥つた患者に対しては、気道を確保して酸素投与を行い、また、静脈を確保して〇・九パーセント生理食塩水、五パーセントブドウ糖液、ハルトマン液を出血量のほぼ二倍の量だけ輸液し、その間に輸血用血液を準備し、血液交差適合試験を経た後、直ちに輸血して循環血液量を確保すべきである旨記載されているところ、被告は清美に対し、出産前から酸素投与を行つていて、これを死亡に至るまで継続しており、また、第一回出血後、清美が「目がかすむ。」と訴えた後、直ちに保存血の取り寄せを指示しており、かつ、被告本人尋問の結果によれば、昭和五六年九月二五日当時、被告が保存血を必要として、訴外吉村薬品又は訴外藤沢薬品の別府営業所に連絡すれば、約一〇分で被告のもとに届けられることが認められるから、午後三時四〇分ころには、保存血も被告医院に届けられていたものと推認されるのであり、さらに、山田から採血した生血三〇〇ミリリットル及び五パーセントブドウ糖液を第二回出血の一〇分後である午後三時三五分ころから、輸血及び輸液し始めているのである。

そして、被告は、午後四時ころさらに保存血四〇〇ミリリットルの取寄せを指示し、また、第二回出血直前に指示して連絡させていた近及び今村両医師が午後四時前後ころ来院したので、右両医師の協力を得て、生血の輸血が終つた午後四時ころからサビオゾール一〇〇〇ミリリットルの輸液を開始し、午後四時二〇分ころから、保存血四〇〇ミリリットルの輸血を開始し、右ブドウ糖の輸液終了後は、サビオゾールに循環賦活剤、肝臓保護作用のある薬剤、ビタミンC、ビタミンB6、活性ビタミンB1、制酸性中和剤、抗生物質を混入して輸液し、さらに、午後四時四〇分ころ、清美の親族等から合計一〇〇〇ミリリットルを採血し、午後五時一〇分ころから死亡に至るまで右生血を輸血しているのであり、被告は酸素投与及び循環血液量の確保の各措置を尽くしたというべきである。

もつとも、〈証拠〉によれば、昭和五五年に発行された産婦人科MOOK第一一巻の「出血性ショックの治療―理論と実際」と題する論文中には、出血性ショックに陥つている患者に対し、ハルトマン液一〇〇〇ないし二五〇〇ミリリットルを四五分間に輸液するというハルトマン液大量急速輸液を行うことが治療のこつである旨記載してある部分のあることが認められ、原告らも右治療法を行うべきであると主張するが、〈証拠〉によれば、昭和五四年発行の外科MOOK第九巻の「産科ショック」と題する論文中には、代用血漿(サビオゾール、ヘスパンダー)の一日の使用限度はほぼ一五〇〇ミリリットルである旨記載してある部分があり、かつ、サビオゾールは三パーセント低分子デキストラン加ハルトマン液であること、昭和五五年発行の産婦人科MOOK第一一巻の「弛緩出血」と題する論文中には、代用血漿剤の一〇〇〇ないし一五〇〇ミリリットル以上の大量使用は腎障害あるいは血液凝固障害を惹起させる危険があるので差控えることが望ましい旨記載してある部分のあることが認められるのであつて、ハルトマン液の大量急速輸液が出血性ショックに対する治療法として、本件医療事故当時、確立され普及していた治療法とは断定し難く、右治療法を被告が行わなかつたことをもつて、過失があつたとはいい難い。

また、〈証拠〉によれば、輸血する場合に、ABO式とRh(D)式の血液型を合せて調べておけば、大半は事なきに終るという考え方は古く、交差適合試験が済むまでの六〇分間は輸血を我慢すべきである旨昭和五五年発行の医学文献に記載されていることが認められ、被告は、生血及び保存血について、いずれも数分間の血液交差適合試験しか行つておらず、右文献による見解からすると、十分な血液交差適合試験を経ないまま清美に輸血してしまつたことになるが、前示のとおり緊急時においても臨床的には被告の行つた程度が通常とされていたし、血液交差適合試験が不十分なために誤つた血液が輸血され、その結果、清美が死亡するに至つたと認める証拠はなく、右事実により、被告に清美の死亡についての過失を認め難い。

以上説示したとおり、被告は清美に対し、酸素投与、循環血液量の確保及び各種薬剤の投与の各措置を行つて、出血性ショックの改善に務めたのであり、過失があつたと認めることはできない。

(三)  その他、本件全証拠を検討しても、被告に清美の死亡について、過失を認めることはできない。

五よつて原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官森 真二 裁判官西田育代司)

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